岡田監督と「監督業」の捉え方

岡田監督は、日本代表の監督も経験しJリーグの監督も経験されてきています。そんな岡田監督にとって「監督」というのどのように思われているのでしょうか。
岡田監督はかつて名古屋クランパスエイトの監督を務め、今はプレミアリーグのアーセナルの監督であるアーセン・ベンゲル監督に言われた言葉があるそうです。「サッカーの監督とは、アヘンのようなものだ」「サッカーの監督とは、1%の成功した者に対し99%の失敗した者がうらやむような業だ」という言葉からもわかる通り、岡田監督は体全体がゾクゾクするというような興奮や緊張感というのは、決して日常生活では味わえない感覚だと言われています
監督という仕事は何であるかという問いに対して、岡田監督は「合理的にどこまで最善の試合を組み立てられるかどうか」ということではないかと述べています。様々な数字やデーターを活用し、またそれを分析し、そこからどのようなチームを作ってどのような試合内容にして行くのかということまでも組み立てるわけです。岡田監督はどこまで合理的に作戦指示ができるかどうかが勝負だと考えられているようです。

岡田監督の空白期間

オシム監督から引き継いだ岡田さんは、横浜Fマリノスの監督を辞めてから今回の日本代表監督に復帰するまでの空白期間は、サッカー関連で何をされていたんでしょうか、気になるところです。
横浜Fマリノスを辞められて年内の間は充電されていたようです。辞められたのは8月でしたね。しかし、奥さんの機嫌が悪くなったのかどうかわかりませんが、冷蔵庫の中のビールが徐々に安いものに変わり、仕舞いには発泡酒になるとかならないとか。
充電後は、前から関心が強かったという環境問題や難民関係にもかなり関わりを持って行動されていたようです。例えば難民関係では、カンボジアにおける地雷除去と共にフットサルの支援や電動で動く車椅子のサッカーワールドカップの支援をされていたようです。
Jリーグ等のサッカーの指導者とは別の領域で活動を行っていた岡田さんでしたが、不思議なことにまた指導者へすぐに復帰したいとは思わなかったそうで、ただいつかまたサッカーの指導者に戻る予感はしていたそうです。

岡田監督とジョホールバルの歓喜

サッカー日本代表の記憶に残っている試合を思い出すならば、イラク戦での「ドーハの悲劇」や、2002年日韓W杯において日本サッカー史上初勝利を挙げたロシア戦等などユーチューブを見ると懐かしさを感じます。
そこでオシム監督が病気で倒れた後後任の監督としてオシム体制を引き継いだ岡田監督。やはり岡田監督の試合といえば、フランスW杯の出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれている現在のライバルであるイラン戦が思い浮かばれます。試合が後半に入ってイランに点を立て続けに決められ、逆転を許し岡田監督はベンチの城と呂比須をピッチに送り込みました。そして最後に野人・岡野も投入し、この采配がズバリと決まって延長後半終了間近に中田英寿が放ったシュートのこぼれ玉にゴール前に詰めていた岡野が、スライディングをしながらゴールに押し込んであの劇的な勝利に結びつきました。
一連の試合運びと、劇的なゴールに岡田監督が両手を突き上げながら喜びを前面に押し出した姿でピッチにダッシュして行く映像は、今もなお脳裏に焼き付いています。

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